フランスと日本の小さな習慣の違い:ドアパス、挨拶、手助け

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Poussette

日本に住んだり、旅行で何度も来ているフランス人たちが、こんなことを言うことがあります。
「日本人って、同じ会社の人や知り合いには気をつかうし、係員や店員とかで働いている時は愛想がいいのに、電車や街で赤の他人に対しては妙に冷たい人が多いよね。
ぶつかってもあやまらないし、満員電車で後ろの人を背中で潰しながら自分だけ強引に携帯ゲームし続けるし、重い荷物を持ったお年寄りや電車に乗降するベビーカーを手伝わないし、老人や妊婦に席を譲らないし、マンションで挨拶しても無視するし… 内外の差が激しすぎる。フランスでは、知り合いか知らない人かで、そんなに態度を変えないよ!」と。

狩で暮らす部族集落くらいの大きな違いがあればそんな風に思わないでしょうが、日本とフランスの都市には共通点の方が多いから、逆に小さな違いに違和感を感じるのかもしれません。具体的に違う点について考えてみました。

ドアのリレー

建物の入口やデパートなどどこにでもある、押して開けるタイプの手動ドア。
ドアを押しながら後ろに人がいないか確認するのは、フランスやイギリス等では当たり前の習慣ですよね。

うしろを振り向いて人がいたら、ドアを持って開けておき、次の人がドアを受け取るまで待ちます。数メートル離れていても、2、3秒で追いつく距離なら待っててくれたり。
後ろの人は”Merci”と言いつつドアを受け取り、次の人にパス。
人がゾロゾロ続く出入口では、リレーが延々と続きます。

日本では、自分がドアを押して中に入った後、振り返らずそのままドアを放してしまう人が多いので、パスしてくれる人に会うと、ちょっと嬉しくなってしまうほどですが、
フランスでドアパスをしない人は、ほとんどいません。日本人が頭を下げるのと同じくらい体に染みついているようです。
私は、Merci♪とほほえむ見知らぬパリジェンヌの笑顔を見てデレデレする習慣が体に染みついています♪

日本に来たフランス人は、必ずといっていいほど、この差にショックを受けて文句を言います。
「日本では鼻先でドアを閉められる! なんで後ろを確認しないのかな。気づいてるのに無視する人も多くて、ひどい!」とか、「職場ではやたら愛想がいいのに、無名の時は人が変わるのか」と腹を立てる人もいれば、
「東京でドアを後ろの人にパスしようとしたら、受け取らずにさっさと先に通って行っちゃう人がいて驚くよ。しかも僕にドアを持たせて、後ろの数人も通って行ったんだよ。僕はドアマンか!」と怒るフランス人もいました。ちょっと笑えてしまう光景です。

「日本の伝統的な扉は全部横スライド方式だったから、西洋式のバタンと閉まるドアの伝統が浅いせいか」と言ってはみるものの… 両方経験した結果、ドアパスした方が自然なように感じるので、日本でも広まった方がいいような気がします。

集合住宅での挨拶

フランスでは集合住宅の中で人に会ったら「Bonjour こんにちは・Bonsoir こんばんは」、降りるときに「Bonne journée 良い一日を・Bonne nuit おやすみなさい」などと声に出して挨拶をします。

日本では目を合わせずに無視する人もいますが、フランスでは無視することが滅多にないので、かなり違和感があり、怪しいと思って警戒心を感じるそうです。

店員さんの挨拶

旅行や滞在された方ならご存知でしょうが、観光客があまりに多くてうんざりしているショップや、低価格/低質な店や、店員さんがおしゃべりに夢中になっている場合を除いて、
フランスでは、お店に入った時や会計時に”Bonjour!”などと挨拶されて、お客さんも挨拶し返すのが普通です。

日本では店員さんがイラッシャイマセといっても客は無言、というのが一般的ですが、フランスでは、スーパーのレジでも、パン屋さんや服屋さんなどに入る時も、お互い挨拶します。職場の人や友達にすると同じ感じで、とても自然です。
いらっしゃいませと言われて無視する方が逆に不自然に感じるので、日本でも気を抜くとつい返事してしまいます。店員さんは「この人知り合いだっけ?」と不思議に思っているかもしれません。

日本では、同じ店員さんが(誰かに向かってではなく空中に向かって)何度もイラッシャイマセーを繰り返すのは普通ですが、フランスではそういうことはありません。
フランスの友達が日本に来た時、「店員さんたちはいったい何て繰り返してるの?」と怖がって、こそこそ声で聞いてきました。
「安い店でもないのに店員さんが挨拶しないと、感じ悪いな!と思うけど、さっき確実に目があって挨拶したのに何度も挨拶されるのも、お前のことなんか覚えてないぞってこと?と不思議になる」「服をたたみながら棚に向かって何かを繰り返す店員さんは、呪文を唱えてるみたいで怖い」とのこと。
逆に、最近日本では極端に挨拶しないショップをたまに見かけるようになりましたが、それはそれで、いい店という感じがしなくなるそうです。

そういえば学生の時に雑貨ショップでバイトしていた時、お客さんが視界に入ったら人間センサーのようにイラッシャイマセだのご覧くださいだの言うよう教えられました。
人形みたいに可愛い店長いわく、万引防止+購買意欲を出させる手段なんだそうです。一見親切そうなのに、歓迎ではなく「見てるよ、買ってね」という意味だとは…。

駅での手助け

フランスでは、ベビーカーやトランク等の大荷物を持っている人を見たら、助けるのが当たり前。

パリでは、地下鉄の駅にエレベーターもエスカレーターもないことがよくあります。
巨大で数十キロある重いトランクを持っているのに、長い階段を降りなくてはならないと気づくと、一瞬めまいがして、崖の上から深い谷間を見下ろしているような気分になります。
どうにか降りる覚悟をした瞬間、通りすがりの男性が「手伝いますよ」と軽々と下まで持って降りてくれて爽やかに去っていく…ということが何度となくありました。むしろ自力で持って上り下りしきったことの方が少ないくらい。自分の腕力を超える荷物でバランスを崩して転げ落ちていたんじゃないかと思うと、感謝してもしきれません。
見ず知らずの他人のために体力、筋力と時間を使ってくれるとは、本当に優しい・généreuxです。パリや近郊には泥棒もいるけど、親切な人はもっと多いなといつも思います。
私が子供に見えているからかとも思いましたが、友達いわくそういうわけじゃなく、「よほど急いでない限り、自分もそうするよ。男性の力ならそれほど大変じゃないから、助けるのが当たり前」だそう。

ベビーカーを持った人が電車に乗降する時に、周りの人が前輪を持ち上げるのも、フランスでは当たり前の光景。そばにいればまず手伝うし、ドアのそばに座っている人がわざわざ立ち上がって助けるというのもよく見かけます。
電車とホームのギャップが大きめの駅が多いような気もしますし、もしかするとベビーカーが平均的に日本のより大きくて重いのかもしれませんが、そうでなくなったとしても、この習慣は残りそうな気がします。

フランスでは、見て見ぬ振りするのは逆に気持ち悪くて落ち着きませんが、日本では、大荷物を持って階段を上り下りしているおばあさんに「運びますよ」と声をかけて、ビックリされたり恐縮させてしまったことが何度もあります。なんだか声をかけにくくなくなってしまいました。
フランス人も、日本で手助けしようとしたら不審者を見る目で警戒されて、驚いたことがあるそうです。
手助けが当たり前でない国では、これは仕方ないのかもしれません。

Emmaüs(エマユス)で感じたこと

Emmaüs(エマユス)に連れて行ってもらったことがあります。
見た目は蚤の市と似ていて、おもちゃ、ベビー用品、家具、自転車などの生活用品の中に、ヴィンテージ食器や、手刺繍入りの可愛いリネン類などの掘り出し物も混ざっています。
ですが、Emmaüsの目的は、蚤の市とは違い、家庭内の不用品から手作りしたての雑貨まで、いろいろなものを市民が寄付し、それを売ったお金で貧しい人を支援すること。店番している人たちも、ボランティアかもしれません。

Emmaüs(エマユス)を始めたのは、L’abbé Pierre ピエール神父。キリスト教の助け合い精神が具現化された場所といえますが、仰々しい感じは全くなく、お店のような感じで、日常生活に溶け込んでいます。

売られている物は寄付品ですが、売値はタダ同然というわけではなく、物の価値を考えて値段がつけられているようです。時には、ものの割に高い物もあったりしますが、ここに来る人の目的は、物を安く買うことではないので、それでもいいわけです。

知り合いは、寄付するものを日頃から集めておき、来たついでに何か買って帰るそうで、会場にはそういう常連さんがたくさんいました。一緒に会場を回っていて、寄付だけじゃなく、顔を見せて、買うことによってもサポートしているんだな、と感じました。
自分の余力を、身近な人達のためだけじゃなく、見知らぬ他人にも(無理のない範囲で、自然な感覚で日常的に)分け与えようとしているんだな、と。

知り合いだろうが二度と会わない他人だろうが、自分には荷物を運ぶ力が十分あるから手助けする、というのも、そういう考え方に繋がっているような気がします。

01/06/2006

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